たぶん私は昔から、「生きる意味」を生真面目に考えすぎてきました。

このセカイの中でわたしが息をしている意味

そんなこと考えなくても毎日楽しく暮らしていけるくらいには恵まれた環境で育ってきました。
だから、何も悲観していません。何も絶望していません。

でも、頭の片隅ではずっとずっと考えていました。
ただただ、不思議でたまらなかったのです。
どんな理屈で、どんな因果で、どんな意味合いがあって、私はこのセカイに生まれてきたのだろう。
今日がすごく充実した一日だろうと、明日がすごく中身のない一日だろうと、そのことを私が幸せに感じようと、不幸せに感じようと、私がこのセカイを旅立っていけば、それらは全部、跡形もなく消えてなくなるのに。

どうして私たちの遺伝子には、子孫を残すという主目的を差し置いて、「より善く生きる」ことがこんなにも重要な事項としてインプットされているのだろう。

そんな私は生まれつきキイの性質が強くて、笑えるほど自己肯定感が低い幼少期・思春期を送ってきました。

華やかな容姿も持ち合わせていない
表彰台に登った記憶もない
バスケ部では万年補欠

何をやっても冴えない私
何をやっても誰にも勝てない私

生まれもったものが違いすぎる。
私にはできないことが多すぎる。
もっとできるようになりたい。
もっと、人より優れていたい。

でも、なぜそう思うのかは自分でも分からないのです。
劣っていようが優れていようが、最終的な着地点は「無」。
その最も重大な事実だけは、みんなみんな同じであることを、理性ではちゃんと理解しているのに。

大人に片足を突っ込んだ時期くらいから、アオくんやモモちゃんが私の周りに出現しました。
これもまたなぜかは分からないけど、とにかく羨ましくて妬ましくて憎らしかった。
決して誰も私を見下したりしていないことは分かっていたけれど、そんなことはどうでもよかったのです。

そんなことより、わたしのうつわはこんなにも小さい。
みんなが当たり前のように持っているアレもコレも、何のうつわには何も入らない。

その事実が理不尽に思えて仕方がなくて、そのことがただただ腹立たしくて。
今思えばあの頃は、ありとあらゆるこのセカイの全てのものに腹を立てていた気がします。
でもそうやって四苦八苦すること、「より善く生きたい」と渇望することで、なんとか自我を保っていたのもまた、事実だったと思います。
それなのに、私を取り囲むセカイは「比べる」ことを良しとしません。
優劣なんて存在しない、あなたはオンリーワンだと言い聞かせてくる。
社会の仕組みも、生物としての本質も、全てに優劣がつくことを前提とされていることは紛れもない事実なのに、どうしてそんなにひた隠しにするんだろう。
みんなで寄ってたかって必死になって隠すから、余計にそれが「悪」かのように見えてるじゃないか。

“優劣”は“善悪”じゃない。

どうしてそのことを誰も声を大にして言わないんだろう。
ナンバーワンかオンリーワンかどうかなんかよりも、そのことの方がよっぽど大事なことなのに。

「あなたは劣ってなんかいない」

そうじゃない。そんな言葉は求めてない。

「誰かより劣っていたって、誰かより優れていなくなって、あなたはここに存在することを無条件に許されてる」

私が言ってほしかったのは、ただそれだけのことでした。

でも、誰も言ってくれませんでした。

だからずっと、私は「生きる意味」の究明に固執し続けてきたのだと思います。
私という存在がここに在り続けることの「意味」をずっと尋ね歩いてきたけれど。
誰も正解は教えてくれませんでした。

そればかりか、わたしの貧相で情けないうつわを勝手にのぞきこんで、的外れな勝手なことを言う人ばかりでした。

それが別に、いじわるをされているわけではないことにやっと気が付いたのは、ここ数年のことでした。

大間違いでした。
「誰も教えてくれない」のではなく、「誰も知らない」だけだったのだから。
張りつめていた膝の力が抜けて床に崩れ落ちるほど、拍子抜けしました。

だって、私以外の人はみんなみんな、ちゃんと自分の「生きる意味」を心得ていて、その意味を踏まえたうえで、それに沿った毎日を生きているんだと思っていたのです。
でも、なんと、どうやらそういうわけではなかったみたいです。

私の周りのアオくんもモモちゃんも、学校の先生も両親も、尊敬するアーティストも、歴史に名を連ねる偉人たちも。
みんな私と同じく、何がなんだかよくわからないままこのセカイに産み落とされて、遺伝子にインプットされたままに、毎日毎時毎秒、ただ呼吸を繰り返していただけだったのです。

私が生まれてこの方ずっと繰り返していたのは、究極の愚問でした。

「生まれてきた意味」「生きる意味」

そんなのこのセカイのどこを探しても、どこにも存在しないらしいのです。
私にとっては衝撃的な事実でした。
でもそれでようやく辻褄があいました。

「いつか跡形もなく消えてなくなるこの“生”を、より善くしたいと思うのはなぜなのか」

それはとてもシンプルで簡単なことでした。

「遺伝子に刻まれているから」

ただそれだけのことでした。

ふーん。

なーんだ。

そうと決まれば話は簡単です。

私は思いっきり、「より善く生きる」ことを追い求めることにしました。
このセカイの全ての物事に、几帳面に理由なんてつけなくていい。
白か黒かなんて私ごときに決められることじゃないから、境目の線なんて引かなくていい。

何もできなくたって、何も手に入らなくたって、何も持っていなくたって。
誰も言ってくれないなら、自分で声を大にして言えばいい。

「わたしは、意味もなく理由もなく、無条件にここに存在することを許されている」

「そして、あなたも。」

なんて、無責任なことを私は言うつもりはありません。
だって、私にはあなたの“生”に許可を出す権限がないのです。
それはこのセカイの中であなたにだけ許された特別な権限なのです。

でも、私はただ、私がどんなつもりで、どういう所存でこのセカイに存在しているのか、皆さんに報告したいと思いました。
それでこの作品を創りました。
でもこれは、“本日時点”の暫定の結論のご報告です。
きっとこのお気持ち表明は、来年の今頃にはカタチを変えています。

本日時点の暫定の私の“生”の目的は、「死ぬまで作品を創り続けること」ただそれだけです。
だから今日も明日も、来年も再来年も、ずっと作品を創り続けたいです。
今はただそのことだけを目の前に掲げています。

そんな私の報告会にお付き合いくださったあなたに、ひとつだけ無責任なご提案をしてこの散文を締めくくろうと思います。

どうかどうか、あなた自身の手で、あなたの“生”に、無条件の許可を出してあげてくくれませんか。
よろしくお願いします。

2024年10月
sato.